ユダとファリサイ派の下役、約200人の兵士たちは、武器をもってイエスさまを逮捕しようとします。イエスさまは無防備・無抵抗であられましたが、ペテロがマルコスに剣をとって打ってかかると、イエスさまは「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言われ諫められました。
イエスさまは積極的に父なる神の怒りとして受け止め、自ら進んで逮捕され、十字架の道を進まれたのでした。それは私たちを愛しているゆえに、私たちの罪のため、私たちを救うためにイエスさまが自ら進まれたのでした。
ユダとファリサイ派の下役、約200人の兵士たちは、武器をもってイエスさまを逮捕しようとします。イエスさまは無防備・無抵抗であられましたが、ペテロがマルコスに剣をとって打ってかかると、イエスさまは「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言われ諫められました。
イエスさまは積極的に父なる神の怒りとして受け止め、自ら進んで逮捕され、十字架の道を進まれたのでした。それは私たちを愛しているゆえに、私たちの罪のため、私たちを救うためにイエスさまが自ら進まれたのでした。
ファリサイ派の人たちはヘロデ派の人たちと結託して、イエスさまを陥れようと質問します。「皇帝に税金を納めるべきですか」と。イエスさまは銀貨を持って来させて「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました。
ある安息日(土曜日)にイエスさまは、神殿に入ると手の不自由な人を癒されました。その時人々は悪意をもってイエスさまに注目していました。それを察してイエスさまは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか」と言われました。
イエスさまは、愛をもってどんな時でも困っている人たちを思いやって助けてくださる真のメシアであられます。そして、私たちもイエスさまが今でも思いやって助けてくださるのです。
ある安息日(土曜日)にイエスさまの弟子が、麦を摘んでいると、ファリサイ派の人たちは、麦を摘むことが律法違反になると文句をつけてきます。イエスさまは「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と答えられました。
イエスさまは徴税人レビを弟子にすると、レビはイエスさまを食事に招きます。するとファリサイ派の人たちは「なぜ、罪人である彼らと食事をするのか」と文句をつけてきます。イエスさまは「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えられました。イエスさまは、自分は正しいことをしていると誇っている人たちを招くのではなく、自分は弱く罪深い者であると認めて、イエスさまを信じる人たちを天国に招き入れて下さるのだ、と言われました。罪人であると認めイエスさまを信じる弱い私たちには、天国に招き入れられていることで神さまの惜しみない愛が注がれているのです。
「いったい誰が天国で一番偉いのでしょうか」と弟子たちがイエスさまに質問します。イエスさまは子どもを真ん中に立たせて、「心を入れ替えて、自分を低くして、この子どものようになることが天国で一番偉いのだ」と言われました。
子どもは自分一人で生きていくことができないので、親に頼って生きています。自分は弱く何もできない罪人であることを知り、イエスさまの十字架の赦しにおいて生かされていると信じ、ただイエスさまに頼り助けを求めて生きることこそ、本当のすばらしさだとイエスさまは教えられました。私たちは弱くもろい罪人です。自分一人では何もできない者です。ただイエスさまがこの私を支えて下さっていると信じ、更にイエスさまの助けを求めましょう。
イエスさまは1万人以上の群衆のお腹を満たすためにはどうしたらよいかと弟子たちに問います。「イエスさま、助けて下さい」と願い出ればいいのに、弟子たちは、少年の持っている5つのパンと2匹の魚しかない、お手上げ状態だと言います。するとイエスさまは、彼らを咎めず、神に祈ると、群衆が満腹になるまで配られたのでした。イエスさまは、少年の僅かな食べ物で神さまを信じるために愛の働きをされたのでした。主はその人にとって一番必要なものを知り、愛をもって与えて下さるお方です。主は私たちに必要なものを必ず与えて下さり、私たちを包み込んで下さるのです。そのことを信じて生きてまいりましょう。
12歳の娘が重病である会堂長ヤイロは、イエスさまに娘を癒してほしいとしきりに願いました。イエスさまは彼の信仰を見て一緒に出かけましたが、途中で娘は亡くなってしまいます。イエスさまは「恐れるな、ただ信じなさい」とヤイロにいって、娘のいるところに入ると、「タリタ、クム(少女よ、起きなさい)」と言います。すると、娘はすぐに起き上がって歩き出したのでした。
さまにイエスさまのことばは、本当に力あることばであり、人の命を救う力(権威)があるのです。イエスさまのことばこそ、死をも打ち砕かれる希望のことばなのです。私たちもただ主のことばに信頼を寄せて生きてまいりましょう。