2000年前、イエスさまはベツレヘムの家畜小屋でお生まれになりました。イエスさまの誕生は、最初に一般市民として扱われない羊飼いたちに目立たないかたちで知らされました。その知らせは、イエスさまが天と地をつなぐお方であるという知らせであり、それは地上に来られたイエスさまを通して、イエスさまを信じる人たちに救いが与えられるという知らせ(神の宣言)でした。イエスさまは真のメシアです。人を救う権力のあるお方であり、一人一人を大切にしてくださるお方です。そしてこのお方は、今でも力強くそばにおられるのです。だからクリスマスは私たちにとって大いなる喜びであり、これが本当のクリスマスなのです。
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12月15日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
12月8日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
12月1日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまの系図は、アブラハムから始まり、ダビデ王がその中心となります。アブラハムは、神さまに祝福され信仰の父と呼ばれました。彼から救いの歴史が始まります。ダビデ王の血筋からメシア(救い主)が現れることで、確かにイエスさまこそがメシアであるということが系図を通して証明されています。また、イエスさまの系図は、全く清い血統ではなく、人の罪の中にある血統でした。神さまはそのあらゆる罪にまみれた不完全な人たちを救うためにイエスさまを送ってくださったのです。
アブラハムから始まる長い救いの歴史の中で、救い主としてずっと待ち続けて来られたのが、イエスさまの誕生(クリスマス)なのです。
11月24日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
私たちの神さまは、神の民である私たちが神の思いに従って生きるように、人が人らしく生きるために「十戒」を与えられました。十戒の第九の戒めは「隣人に関して偽証してはならない」、第十の戒めは「隣人の家を欲してはならない」です。第九戒はウソをついてはいけない、正直に素直に話すことを教えており、ごまかし、陰口、悪口も戒められています。第十戒は、隣人のものを欲しがること、隣人の幸せを恨んだりすることを戒められています。今持っているもので満足して主に感謝することが教えられています。私たちは十戒を完璧に守れることはできませんが、イエスさまの罪の赦し・助け・恵みを祈り求めて、私の隣人の人格を大切にして、隣人を愛し合いましょう。
11月17日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
私たちの神さまは、神の民である私たちが神の思い(御旨)に従って生きるように、人が人らしく生きるために「十戒」を与えられました。十戒の第八の戒めは、「盗んではならない」です。これは他人のものを盗んで取ったりすることはもちろんのこと、他人のものをうらやましがったりすることも、貪欲なことも戒められています。神さまは私たちに必要なものを十分に与えて下さっておられるからです。その真実を素直に信じることが大切です。だから、モノやお金に執着しないで、今持っているもので満足して主に感謝して生きてまいりましょう。
11月10日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
10月27日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
礼拝をするなかで大切なことは、偶像礼拝をせず、真実な神さまのみに心向けて礼拝することだとパウロは教えました。
真実とは、唯一の主、本当に今ここにおられる主、今も生きて働かれる主ご自身が真実であるということです。しかも、私たちを耐えられないような試練には遭わせない、試練に耐えられるよう逃れの道を備えて下さる本当の慰めの主であられます。だから、私たちは安心してこのお方に礼拝するのです。私たちはこのお方のみに頼り、神さまの愛の中で平安を頂いて礼拝をささげましょう。
10月20日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
礼拝をするなかで大切なことは、「神の憐れみによって、自分のからだを神に喜ばれる聖なる生けるいけにとしてささげること」だとパウロは教えました。あるがままの罪深いこの私が、神の憐れみ(イエスさまの十字架による赦しと忍耐)において、神さまに受け入れられていることを信じ、心を込めて唯一の私の神さまのみに向かって感謝と喜びをもって礼拝することが大切なのです。その恵みを覚えて、「心を尽くして主に仕え、とるに足らぬ私の愛の業も、身も心も主は受け入れよろこぶ」(讃美歌17番3節)と主に感謝し、心より賛美しましょう。
10月13日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは礼拝をする中で大切なことは「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と教えられました。霊とは神の霊、聖霊をさし、真理とは神の真理、神のことばにおいて生かされる神の働きをさします。礼拝をする私は、自分が汚れた罪人に過ぎず、聖霊なる神がこの私を礼拝に招いて下さっているという信仰をもち、神の恵み(生きた働き)のおかげで、神さまに出会っているという感謝と喜びをもって礼拝することが大切なのです。