教会は、人の組織や人脈においての集まりではなく、神がイエスさまの名において一人一人を招いて下さった人の集まりだとパウロは教えました。単に自分の意志で教会に来たのではなく、私もあの人もこの人も、神の招きにおいて教会に来たのです。その神の不思議な招きを信じて互いにつながり支え合って参りましょう。
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5月4日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
約2000年前のある日曜日の朝早く、イエスさまは復活されましたが、弟子たちは信じませんでした。11人の弟子たちに復活のイエスさまは現れて、彼らを咎められました。そして、イエスさまは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と命令されました。自分の殻に閉じこもるのではなく、全世界に向かって福音を伝えるようにご命令されたのでした。復活のイエスさまは、弟子たちをただ咎めるだけでなく、彼らのやるべき働きを告げて前進させるのでした。この後、聖霊なる神さまが弟子たちに降ってこられることで、弟子たちは主の命令に従う器として力強く働くのでした。弟子たちと同じように私たちも主の命令に従う器として働いているのです。
4月27日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
約2000年前のある日曜日の朝早く、イエスさまは復活されましたが、マグダラのマリアは途方に暮れて墓の外に立って泣いていました。イエスさまが「もう泣かなくてもいいのだよ」と声をかけますが、マリアはイエスさまだと分かりませんでした。復活のイエスさまが「マリア」と呼びかけると、マリアの心の目が開かれ、復活の恵みを知ることができました。更に復活のイエスさまは、「あなた方の父、あなた方の神」と呼ぶことを認めて下さり、弟子たちが知ることになります。そして、今私たちは「私の主、私の神よ」と呼ぶことができるのです。「私の主、イエスさま」と私たちが祈ることができる恵みを覚えて今週一週間過ごして参りましょう。
4月20日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
約2000年前のある日曜日の朝早く、十字架にかけられて死なれたイエスさまは復活されました。マグダラのマリアがイエスさまの墓に来ると、イエスさまの遺体がなく、すぐにペテロとヨハネに知らせます。すると、二人は空の墓を確認しますが、イエスさまが復活されるという聖書の言葉を理解できませんでした。この時、弟子たちはイエスさまが十字架で亡くなったということで絶望していたと思われます。この後、復活のイエスさまが現れ、弟子たちの心の目を開いて下さいます。弟子たちを含めた私たちは、自分の力で復活のイエスさまを信じる事はできません。イエスさまが心の目を開いて下さることで、復活の恵みを知ることが出来るのです。この恵みに感謝してイースターをお祝いしましょう。
4月13日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ユダとファリサイ派の下役、約200人の兵士たちは、武器をもってイエスさまを逮捕しようとします。イエスさまは無防備・無抵抗であられましたが、ペテロがマルコスに剣をとって打ってかかると、イエスさまは「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言われ諫められました。
イエスさまは積極的に父なる神の怒りとして受け止め、自ら進んで逮捕され、十字架の道を進まれたのでした。それは私たちを愛しているゆえに、私たちの罪のため、私たちを救うためにイエスさまが自ら進まれたのでした。
4月6日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
3月30日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ファリサイ派の人たちはヘロデ派の人たちと結託して、イエスさまを陥れようと質問します。「皇帝に税金を納めるべきですか」と。イエスさまは銀貨を持って来させて「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました。
3月23日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ある安息日(土曜日)にイエスさまは、神殿に入ると手の不自由な人を癒されました。その時人々は悪意をもってイエスさまに注目していました。それを察してイエスさまは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか」と言われました。
イエスさまは、愛をもってどんな時でも困っている人たちを思いやって助けてくださる真のメシアであられます。そして、私たちもイエスさまが今でも思いやって助けてくださるのです。
3月16日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ある安息日(土曜日)にイエスさまの弟子が、麦を摘んでいると、ファリサイ派の人たちは、麦を摘むことが律法違反になると文句をつけてきます。イエスさまは「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と答えられました。
3月9日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは徴税人レビを弟子にすると、レビはイエスさまを食事に招きます。するとファリサイ派の人たちは「なぜ、罪人である彼らと食事をするのか」と文句をつけてきます。イエスさまは「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えられました。イエスさまは、自分は正しいことをしていると誇っている人たちを招くのではなく、自分は弱く罪深い者であると認めて、イエスさまを信じる人たちを天国に招き入れて下さるのだ、と言われました。罪人であると認めイエスさまを信じる弱い私たちには、天国に招き入れられていることで神さまの惜しみない愛が注がれているのです。