今から約3000年前、ベツレヘムの地でエッサイの子少年ダビデは、イスラエルの次の王様になるために、油を注がれました。その時、神さまは預言者サムエルに「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」と言いました。神さまは、心をご覧になって少年ダビデを選ばれたのでした。
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7月27日(日)朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
今から約3200年前、ヨシュアが110才の頃、遺言をイスラエルの民に残しました。今まであなたたちの神が、あなたたちのために、主御自ら戦い、土地を分け与えられた。これは神さまの力における導きであるから、これからもこの導きを心に留めていくべきだ、そして「今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ」と遺言したのでした。
今まで私たちの主が力強く先導して私たちを導かれたように、これからも変らず私たちの主が力強く導いて下さることを信じ貫くことが、主を固く信頼することであり、この生き方こそが私たちの生き方なのです。
7月20日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
これは兵の力において勝利したのではなく、御言葉をもって導く神の導きにおける勝利、神さまの御業なのでした。目の前の城壁が難攻不落のように見えても、私たちの神さまが必ず先導されて、私たちの生きる道は切り開かれていくのです。
7月13日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
7月6日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
6月29日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
パウロは途中の航海で暴風がありましたが、何とか無事にローマに到着します。そこでパウロは自費で借りた家に丸二年間住んで訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく主の福音を伝えたのでした。パウロの宣教は、迫害や困難といった様々な妨げを受けながらも、主の福音が止んだことは一度もありませんでした。そしてユダヤからこのローマへと伝わったのでした。これからも主の福音は、何の妨げもなく全く自由に語られ教え続けられていくのです。主の福音が決して止むことはないという恵みを信じ、これからも主の福音を伝え続けましょう。
6月22日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
パウロはエルサレムでの暴動をきっかけに、ローマに行くことになりました。パウロは囚人としてローマに向かいます。パウロを含めた276名を乗せた船は、約3000㌔の船旅をします。彼らは途中の航海で暴風のため命の危険にさらされます。そんな時、パウロは神さまからローマ皇帝の前に必ず出頭するという使命を与えられていると同船者に伝え励ますのです。この使命のおかげで、同船者の命は皆助かるのでした。主のみ旨が成し遂げられる途中であるならば、主の助けは主がよしとした時に、その人にふさわしく必ず与えられるのです。私たちも主の助けがあると信じ、主のみ旨が成し遂げられる希望をもって生きて参りましょう。
6月15日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
パウロがエルサレムに来た時、神殿の境内である事件が起こりました。パウロを憎むユダヤ人たちは、パウロが異邦人を神殿に連れ込むという死罪に当たるようなことをしてしまったと言いふらしたのでした。それを聞いた群衆は、パウロを捕らえて暴行します。するとローマ兵である千人隊長はそれを制止したのでした。パウロはローマ兵に助けられ、やがてローマに護送されます。このユダヤ人の憎しみからくる暴動を通して、神さまはパウロをローマ宣教に遣わし、キリストの福音は世界に広がっていきます。どんなことがあっても主のみ旨が成し遂げられるのです。私たちも主のみ旨が必ず成し遂げられるということを信じ、主に信頼して生きて参りましょう。
6月8日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまが天に昇られてから約10日後、弟子たちがエルサレムの家に集まっていた時に教会がはじまりました。それは突然のことでした。炎のような舌が弟子たち一人一人の上に留まり、聖霊なる神が弟子たちに宿ったのでした。すると聖霊なる神が弟子たちを通して他の様々なことばで神のことばを大胆に語りだしたのでした。これが教会のはじまりです。教会は建物が建てられたことではじまったのではなく、神のことばが語られることではじまったのです。そして今でも、私たちの教会に神のことばが語られているのです。
6月1日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまが昇天されて30年後、パウロはエフェソの教会宛に手紙を書きました。「教会はキリストを頭とした体であり、キリストの満ちておられる場です」と教えました。教会がイエスさまを中心にして働いていることを教えています。
教会はイエスさまにおいて神の力と愛が満ちておられる場であり、その中心にイエスさまがおられます。イエスさまが教会の頭であり、私たちはイエスさまの手や足であります。神の招きにおいて様々な人たちがいるのが教会です。神に選ばれた私たちは、イエスさまにつながると心に決め、イエスさまを主と告白し、賛美し、それぞれの個性を生かして神の愛を伝えていくのが教会なのです。