4月20日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

 2000年前のある日曜日の朝早く、十字架にかけられて死なれたイエスさまは復活されました。マグダラのマリアがイエスさまの墓に来ると、イエスさまの遺体がなく、すぐにペテロとヨハネに知らせます。すると、二人は空の墓を確認しますが、イエスさまが復活されるという聖書の言葉を理解できませんでした。この時、弟子たちはイエスさまが十字架で亡くなったということで絶望していたと思われます。この後、復活のイエスさまが現れ、弟子たちの心の目を開いて下さいます。弟子たちを含めた私たちは、自分の力で復活のイエスさまを信じる事はできません。イエスさまが心の目を開いて下さることで、復活の恵みを知ることが出来るのです。この恵みに感謝してイースターをお祝いしましょう。

2025年4月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

4月13日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ユダとファリサイ派の下役、約200人の兵士たちは、武器をもってイエスさまを逮捕しようとします。イエスさまは無防備・無抵抗であられましたが、ペテロがマルコスに剣をとって打ってかかると、イエスさまは「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言われ諫められました。

イエスさまは積極的に父なる神の怒りとして受け止め、自ら進んで逮捕され、十字架の道を進まれたのでした。それは私たちを愛しているゆえに、私たちの罪のため、私たちを救うためにイエスさまが自ら進まれたのでした。

2025年4月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

4月6日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ファリサイ派の人たちは最高法院(国会&地方裁判所)を召集し、イエスさまの殺害を決議します。これを機にイエスさまの十字架の道(受難の道)がスタートすることになります。「イエスさまが代わりに死ねばユダヤの国は滅びない」という大祭司カイアファの発言においての決定でした。

 これはイエスさまの十字架の死が多くの人の救いのためということを神がイエスさまの敵を通して教えて下さったのでした。時には、人のたくらみを神は利用されて、人の救いを全うされるのです。神の支配の御手の中で、イエスさまの十字架の死を中心にして、人の救いは為されていくのです。ここに真に人の救いがあるのです。

2025年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

3月30日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ファリサイ派の人たちはヘロデ派の人たちと結託して、イエスさまを陥れようと質問します。「皇帝に税金を納めるべきですか」と。イエスさまは銀貨を持って来させて「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました。

 イエスさまは納税することを認められましたが、神のものは神に返しなさいとも言われました。それぞれの国の憲法や税金には従うべきですが、神を信じることができなくなるような圧力があれば、信仰を守るようにと言われたのです。皇帝は神でもないし絶対ではありません。絶対的なお方は神のみです。そしてすべては神によって成り立ち、神にお返しすることになります。神を信じるという第一のことを第一にし、すべては神にお返しするという信仰をもって生きて参りましょう。

2025年3月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

3月23日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ある安息日(土曜日)にイエスさまは、神殿に入ると手の不自由な人を癒されました。その時人々は悪意をもってイエスさまに注目していました。それを察してイエスさまは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか」と言われました。

 安息日に困っている人を助けず何もしないでただ他人を切り捨ててしまうのではなく、愛の心をもって隣人を助け、思いやることが大切だとイエスさまは律法を正されました。隣人を助け、思いやることで神さまは喜ばれるのです。

イエスさまは、愛をもってどんな時でも困っている人たちを思いやって助けてくださる真のメシアであられます。そして、私たちもイエスさまが今でも思いやって助けてくださるのです。

2025年3月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

3月16日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ある安息日(土曜日)にイエスさまの弟子が、麦を摘んでいると、ファリサイ派の人たちは、麦を摘むことが律法違反になると文句をつけてきます。イエスさまは「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と答えられました。

 律法は人を追い込んで苦しめるためにあるのではなく、人を生かすためにあるのだ、とイエスさまは言われました。イエスさまは安息日の主として律法を正され整えられたのでした。私たちのイエスさまは、私たちを真に生かすメシアであられます。このお方にゆだねて共にほめたたえましょう。

2025年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

3月9日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

イエスさまは徴税人レビを弟子にすると、レビはイエスさまを食事に招きます。するとファリサイ派の人たちは「なぜ、罪人である彼らと食事をするのか」と文句をつけてきます。イエスさまは「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えられました。イエスさまは、自分は正しいことをしていると誇っている人たちを招くのではなく、自分は弱く罪深い者であると認めて、イエスさまを信じる人たちを天国に招き入れて下さるのだ、と言われました。罪人であると認めイエスさまを信じる弱い私たちには、天国に招き入れられていることで神さまの惜しみない愛が注がれているのです。

2025年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月23日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

人々はイエスさまに祝福してもらうために子どもたちを連れてきましたが、弟子たちはそれを妨げて叱りました。すると、イエスさまは「子どもたちを来させなさい。妨げてはならない。天国はこのような者たちのものだ」と言われ、手を置いて子どもたちを祝福されました。

イエスさまのところに近づくことは誰にでもできると、イエスさまは言われました。イエスさまの祝福(恵み)は、求める者に誰にでも与えられるのです。当時小さく価値のない者と見なされていた子どもでさえもイエスさまのところに近づくことをイエスさまご自身は喜ばれるのです。ここに愛があります。私たちも子どものようにただイエスさまに近づいて身を任せて、イエスさまに恵みを頂いていると信じて歩みましょう。

2025年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月16日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

「いったい誰が天国で一番偉いのでしょうか」と弟子たちがイエスさまに質問します。イエスさまは子どもを真ん中に立たせて、「心を入れ替えて、自分を低くして、この子どものようになることが天国で一番偉いのだ」と言われました。

子どもは自分一人で生きていくことができないので、親に頼って生きています。自分は弱く何もできない罪人であることを知り、イエスさまの十字架の赦しにおいて生かされていると信じ、ただイエスさまに頼り助けを求めて生きることこそ、本当のすばらしさだとイエスさまは教えられました。私たちは弱くもろい罪人です。自分一人では何もできない者です。ただイエスさまがこの私を支えて下さっていると信じ、更にイエスさまの助けを求めましょう。

2025年2月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月9日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

イエスさまは1万人以上の群衆のお腹を満たすためにはどうしたらよいかと弟子たちに問います。「イエスさま、助けて下さい」と願い出ればいいのに、弟子たちは、少年の持っている5つのパンと2匹の魚しかない、お手上げ状態だと言います。するとイエスさまは、彼らを咎めず、神に祈ると、群衆が満腹になるまで配られたのでした。イエスさまは、少年の僅かな食べ物で神さまを信じるために愛の働きをされたのでした。主はその人にとって一番必要なものを知り、愛をもって与えて下さるお方です。主は私たちに必要なものを必ず与えて下さり、私たちを包み込んで下さるのです。そのことを信じて生きてまいりましょう。

2025年2月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka