イエスさまは徴税人の頭であるザアカイに会い「今日はあなたの家にぜひ泊まりたい」と言われました。ここでの泊まりたいとは、彼を救いに来たという意味です。するとザアカイは喜んでイエスさまを迎え、財産の半分を貧しい人々に施し、だまし取った人たちには4倍にして返すと言いました。ザアカイはイエスさまによって救われたという感謝として施しをしました。罪を犯しても分からない弱い私たちもイエスさまの方から愛の救いの手を差し伸べて救ってくださっておられる。主の御業を感謝して、十字架の主を仰ぎ見ましょう。
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3月3日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは私たちの思いをはるかに超えた憐れみで私たちを包み込むようにして愛して下さっておられます。イエスさまは、どんなことがあっても私たちを愛し続けて下さいます。ありのままの私たちを愛しておられるからです。このイエスさまの愛に身をゆだねて心開いて、今週一週間生きてまいりましょう。このお方は私たちの罪のために十字架におかかりになられるのです。
2月25日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは、なくした銀貨のたとえ話をされました。何にもまして大切な宝である銀貨10枚をもっている女の人が、そのうちの1枚の銀貨をなくしてしまい、一生懸命になって見つかるまで捜し出しました。大切な宝である銀貨を捜し出す姿はイエスさまであり、そのなくした銀貨は、悔い改めることを知る罪人である私です。悔い改めとは、イエスさまに捜し出されたことに気づいて、イエスさまのところに戻って喜んで礼拝し、友が戻ってきたら共に喜ぶことです。
イエスさまは、全身をもってこの私を懸命に見つけ出してくださいました。そして全身をもって悔い改めを知る私が戻ってきたことを喜んでおられます。今でも決して離すことなく、この私を宝物のように見ておられます。その愛なるお方は、私の罪のために十字架におかかりになられるのです。
2月18日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは、1匹の見失った羊のたとえ話をされました。羊飼いは、1匹、1匹に名前をつけて大切にしています。その一匹を見失うと、羊飼いは見つけ出すまで捜し回るといいます。羊飼いはイエスさまであり、羊は悔い改めることを知る罪人である私たちです。悔い改めとは、イエスさまに見つけられたことを信じ、イエスさまのところに戻ることです。
羊飼いであるイエスさまは、罪人である私たちを見つかるまで捜し出しくださる愛なるお方です。イエスさまが見つけてくださったから私たちは、今ここにいて、共に喜んで礼拝し、賛美しているのです。
2月11日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」。平和を実現するとは、神さまの愛を伝える器として神さまのために働くことです。本当に平和を実現するのは、私たちでなく、世の終わりの時に神さまが必ず為されます。私たちは、イエスさまの十字架のおかげで神さまとの間に平和を頂いていますが、イエスさまの愛を伝える時、自分の力で伝えているのではなく、イエスさまの働き(主の恵み)においてであると信じて働くことで、幸せなのです。
2月4日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」。心の清さとは、一心にひたすら神さまを求めて従い続けることです。神を見るとは、希望をもって神さまを待ち続けることです。私たち自身の心は罪で汚れており、心の清い者にはなれません。ただイエスさまの十字架のゆるしにおいて、神さまを見上げることがゆるされています。イエスさまの十字架の恵みにおいて清い心で生かされているのです。私たちは、これもあれも主の恵みであると素直に受け入れて主に感謝しつつ、イエスさまに会うことを待ち望むことで、幸せなのです。
1月28日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」。憐れみは、ほかの人の立場になって同情することであり、相手を大切にすることです。同情することは、ほかの人と同じ思いになって寄り添うことです。
二人の目の見えない人たちがイエスさまの憐れみを強く求めたように(マタイ20:29~34)、憐れみを強く求める者に必ずイエスさまが応えて憐れんで下さいます。イエスさまの憐れみを頂いていると強く信じてほかの人に寄り添うならば、神さまはその人に憐れみを更に増し加えて下さっているのです。
1月21日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる」。義とは、イエスさまご自身であり、義に飢え渇く人たちとは、その義であるイエスさまに従って正しく生きようと強く願い求める人たちです。私たちは自分の力で正しく生きることができません。神さまがイエスさまを通して、その正しさを与えて下さるのです。正しいことをしている時、私たちは自分の力でしているのではなく、イエスさまの働きのおかげだと強く信じて生きているなら、その人の心は、平安で満たされているのです。
1月14日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」。イエスさまが山で人々に教えてくださったことばです。柔和とは、人を押しのけたりしないおだやかで、やさしいことです。その人たちはこの地上で神さまのために働きます。私たちは罪深く、弱くいつでも柔和でいることはできません。けれども、神さまが柔和な心を与えて下さるのです。わたしたちは、その事実(恵み)を信じて、生き続けてまいりましょう。