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10月27日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
礼拝をするなかで大切なことは、偶像礼拝をせず、真実な神さまのみに心向けて礼拝することだとパウロは教えました。
真実とは、唯一の主、本当に今ここにおられる主、今も生きて働かれる主ご自身が真実であるということです。しかも、私たちを耐えられないような試練には遭わせない、試練に耐えられるよう逃れの道を備えて下さる本当の慰めの主であられます。だから、私たちは安心してこのお方に礼拝するのです。私たちはこのお方のみに頼り、神さまの愛の中で平安を頂いて礼拝をささげましょう。
10月20日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
礼拝をするなかで大切なことは、「神の憐れみによって、自分のからだを神に喜ばれる聖なる生けるいけにとしてささげること」だとパウロは教えました。あるがままの罪深いこの私が、神の憐れみ(イエスさまの十字架による赦しと忍耐)において、神さまに受け入れられていることを信じ、心を込めて唯一の私の神さまのみに向かって感謝と喜びをもって礼拝することが大切なのです。その恵みを覚えて、「心を尽くして主に仕え、とるに足らぬ私の愛の業も、身も心も主は受け入れよろこぶ」(讃美歌17番3節)と主に感謝し、心より賛美しましょう。
10月13日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまは礼拝をする中で大切なことは「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と教えられました。霊とは神の霊、聖霊をさし、真理とは神の真理、神のことばにおいて生かされる神の働きをさします。礼拝をする私は、自分が汚れた罪人に過ぎず、聖霊なる神がこの私を礼拝に招いて下さっているという信仰をもち、神の恵み(生きた働き)のおかげで、神さまに出会っているという感謝と喜びをもって礼拝することが大切なのです。
10月6日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
最初の人アダムの孫エノシュの頃、「主の御名を呼び始めた」と聖書は記しています。エノシュとは、人間にすぎないという意味の名前です。その頃から主の御名を呼び始めた、つまり、神さまに祈り、礼拝したのでした。
弱くもろい罪人である人間にすぎないという自覚の中で、人は祈り、礼拝をしたのでした。それは神さまが、罪人である私たちに神さまにお祈りし、神さまを礼拝する恵みを下さったからでした。己の弱さと罪を知り、赦しを求めて神さまに寄りすがる私たちに神さまは、必ず顧みて下さいます。その恵みを覚えて、これからも礼拝を大切にして生きてまいりましょう。
9月29日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
9月22日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
9月15日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
9月8日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
私たちの神は、神の民である私たちが神の思い(御旨)に従って生きるように「十戒」を与えられました。十戒の第二の戒めは、「あなたはいかなる像も造ってはならない」です。本当の唯一の私たちの神を何かの形に作って拝んだり、崇めたり、他のものに置き換えて拝んではいけないのです。それは私たちの神が熱情の神であられるからです。私たちの神さま以外のものを拝むのを私たちの神は忌み嫌い、神ご自身が礼拝されることを強く求められ、私たちの神のみを礼拝することを心から喜ばれるお方なのです。
9月1日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
約3500年前、神さまはイスラエルの民(神の民)を奴隷の苦しみから解放し、救い出されました。その神さまは、民たちが神さまの思い(御旨)に従って生きるように「十戒」を与えられました。十戒の第一の戒めは、「私をおいてほかに神があってはならない」と教えられました。この私を必ず救い出す神さまのみが私の神さまであり、唯一の真の神さまであられ、私の神さま以外(神社などの偶像・魔術・占いなど)には呼びかけたり、拝んだりしないようにと教えられました。これは私の神さま以外に身を寄せて、信頼を置かないようにということです。そして、私たちは私たちの神さまを神さまとして知り、認め、信頼し、すべてのよきものをこの方に期待し、この方のみに日々礼拝し、ほめたたえることが、私たちの生き方であり、私の神が喜ばれるのであります。