大切な弟子に裏切られるという苦しみはどれほどのものだったでしょうか。私たちには想像もつきませんが、イエスさまは、心を騒がせられました。それは、心に大きな悲しみを覚えられ、苦しまれたのですが、同時に、父なる神の意志(受難の道)に自ら素直に服するというイエスさまのお姿があります。このイエスさまの苦しみと決意があるからこそ、私たちの救いがあるのです。この恵みを覚えてレントを過ごしましょう。
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3月15日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまの愛の業(奇跡)は、単なる見世物ではなく、イエスさまをメシアとして信じるための働きでした。それを弟たちは理解していなかったのでした。ユダヤ人から命を狙われるまで憎まれ、弟たちからも理解されない中でも、イエスさまは愛の業を続けられたのでした。どれだけ孤独で寂しかったでしょうか。私たちには想像もつきませんが、イエスさまは、私たちの罪のために悲しまれ、苦しまれたのでした。このイエスさまの苦しみがあるからこそ、私たちの救いがあるのです。この恵みを覚えてレントを過ごしましょう。
3月8日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ガリラヤ湖畔でイエスさまは、フィリポらを試されますが、彼らは不信仰な答えしかできませんでした。それでもイエスさまは愛をもってパン五つと二匹の魚から5000人以上の人たちのお腹を満たす奇跡をされました。すると人々は、イエスさまを自分たちの王にしようと担ぎ出しますが、イエスさまはそれを知ると山に退かれ、祈られたのでした。それはイエスさまが人々の罪のさばきから救うためのメシアであることが分からなかったから逃げられたのでした。弟子たちの信仰の弱さや人々の自分勝手さを知っておられた私たちの主。それでも、いやそれだからこそイエスさまは私たちの罪のために十字架の道に進まれていくのです。その愛ある働きを覚えてレントを過ごしましょう。
3月1日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
2月22日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
イエスさまはご自身の十字架において礼拝を正しい礼拝へと導かれ、人を神に近づけ、救いの道を開かれようとします。しかし、ユダヤ人たちはこの救いの道を理解できず、イエスさまを憎み、やがて十字架につけてしまうことになります。イエスさまは人の罪深さを知る中で、私たちのために十字架の救いの道を切り開かれていくのでした。この主の恵みを覚えてレントを過ごしましょう。
2月15日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
汚れた霊にとりつかれた人は、イエスさまを神の子と認めて、「かまわないでくれ」と懇願します。しかし、イエスさまはその懇願を拒否され、汚れた霊(悪霊)をその人から追い出します。すると、人々は「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じるとそのいうことを聴く」と皆驚きました。
イエスさまのことばは、悪霊が圧倒してしまう権威ある絶対的な力あることばです。この権威あることばは、悪霊に取りつかれた人が助けられたことから、人を救い、助ける愛のことばでもあるのです。私たちは、この主のことばに100%信頼して、これからも聞き従って生きていきましょう。
2月8日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
ガリラヤ湖畔で、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネにイエスさまは声をかけます。「私について来なさい。人間を取る漁師にしよう」と。人間を取る漁師とは、神の愛を伝える伝道者です。この伝道者は、人の能力や資格があるからできるということではなく、イエスさまに出会い、イエスさまが声をかけられることからできるのです。その声掛けに対して4人の弟子たちは、すぐにイエスさまの後について行きました。私たちもイエスさまのことばを聞いて、信じて、寄り頼んでイエスさまの後についていきましょう。
2月1日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とイエスさまは、宣教の第一声をあげました。このことばからイエスさまの宣教がはじまります。
イエスさまは私たちに語りかけます。神さまの救いの計画を実現するときが今、来た。自分本位の生き方から心を変えて、神さまの方に向きを変えて生きていこう(神さまのことばを中心にして聞き従う生き方に変えていこう)、と。イエスさまを信じる私たちは、このメッセージ(本当に神さまが私を救うこと)に信頼して、自分を神さまにゆだねて生きてまいりましょう。
1月25日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)
「(イエスさまは)試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けているたちを助けることがおできになるのです」。
イエスさまは、忠実な大祭司である人となられました。忠実な大祭司とは、父なる神さまが満足される働きをする完璧な大祭司です。その働きは私たちの罪のとりなしをする働きであり、イエスさまはそれを完璧にされ、その恵みにおいて私たちは救われているのです。同時にイエスさまは、その完璧な働きゆえに、人となって私たちの苦しみを100%知っておられます。今でも、イエスさまは、私たちの苦しみを知っておられ、必ず助けてくださるのです。
1月18日朝のみんなの礼拝メッセージ
「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピ2:6~7)とパウロは語ります。
イエスさまは私たちと同じ人となってくださいました。それはご自身の意志で、私たちに仕え、死ぬ必要がないのに、死までも従われ、罪人の一人として死んでくださいました。また、栄光のイエスさまは、苦しみや悲しむ必要がないのに、私たちのために苦しみ、悲しまれました。そしてイエスさまは、苦しみを分かち合う、人の苦しみを知る神となられたのです。そのイエスさまが今、私と共にいて下さるのです。