教会ブログ

教会のイベント等のブログです。

ブログ一覧

主の2021年9月5日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

 今から2960年前、当時のイスラエルは、ソロモンが王として、イスラエル王国を治めていました。王に即位したばかりのソロモンが礼拝をしに、ギブオンという町に来た時のことでした。礼拝をささげたその夜、神がソロモンの夢に現れました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と。するとソロモンは、神に忠実であった父ダビデ王の祝福をそのまま私が引き継ぐことは何と恐れ多いことかと、いいます。私は取るに足らない若者に過ぎないといいます。ソロモンはこの時、王として高ぶることなく、へりくだって自分の弱さを神にさらけだします。そして、王として善悪を判断できる聞き分ける心(知恵)をください、と願います。自分のためでなく、民に仕えるための判断力と知恵を授けて下さいと願ったのでした。この願いに神は喜ばれました。神はソロモンに、判断力と知恵を与え、さらに願っていなかった富をも与えると約束されました。

 高ぶることなく自分の弱さを神にさらけだし、「人に仕える知恵と力をください」と願うことを神さまは喜ばれます。私たちも、謙遜な思いで人に仕える知恵と力を与えて下さい、と祈りつつ、今週一週間、歩んでまいりましょう。

2021年9月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月29日 朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

アダムと女は神の命令を破り、女は生みの苦しみと痛み、アダムは食べ物を得るための苦しみと痛みを神から言い渡され、エデンの園から追放されます。罪人である二人が、命の木からとって食べてしまう可能性があったからです。神を抜きにして永遠の命を得ようとする人の弱さを神はご存じだったのです。しかし、この追放は、神の憐れみによるさばきでありました。アダムが女(命)と名付けることで、神の恵みの約束に目を留めさせ、さらに神は皮の衣を着せて下さいました。人が犯した罪の恥を自分たちではぬぐえないために、神自らが完全にそれらを覆って下さり、二人を守ってくださったのであります。その神の守りの中で、二人はエデンから追放されるのでした。

人は神ぬきに永遠の命を得ることは決してできません。人は、苦しみながら働き、キリストを通してのみ神を見ることで永遠の命があたえられます。神の恵みと守りが私たちを追う中で永遠の命が与えられるのです。「命ある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う」(詩編23:6)。この恵みに励まされて今週一週間生きてまいりましょう。

2021年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月22日(日)朝のみんなの礼拝メッセージ(要約版)

二人は神の命令を破り、神さまのところから隠れます。神さまは「どこにいるのか」と二人に問いかけます。神さまは即座にさばかれることをせず、二人に近づいてくださいます。神さまが問いかけると、アダムは女のせいにし、女は蛇のせいにし、ついには神さまのせいであるかのような言い方をします。人は裸である事実は語りますが、神のご命令を破り、罪を犯したことを認めず、謝ろうとしません。神さまは女に対して、産みの苦しみ、アダムに対して、食べ物を得ようと苦しむ(働くことの困難)ことを告げ、人は塵に帰る(死ぬ)のだ、と言われます。蛇(サタン)に対しては、呪われる者であると即宣告し、蛇と女、そして蛇の子孫(サタンと滅びる者たち)と女の子孫(キリストと救われる者たち)に敵意(対立)を置くと言われます。サタンは彼に致命的な痛手を負わせることはできないが、彼は、サタンに致命的な痛手を負わせ、勝利を治めることになるのだ、といいます。彼とはキリストであり、キリストが十字架の苦難において成し遂げて下さいました。私たちは塵に過ぎず、死にゆくものではありますが、キリストを信じ、寄り頼むことでこの勝利を味わえるのです。この救いの恵みを覚えて今週一週間、生きてまいりましょう。

2021年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月15日のメッセージ

「本当に神は言われたのか」と、神のことばを疑わせる言い方をして蛇(サタン)は、女を誘惑します。すると、女は「食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」と神は言わなかったことを答えます。女は、神のことばを付け加え、推論してしまい、神のことばから離れていきます。すると蛇は女に攻寄ります。「目が開け神のように善悪を知る者となる」と。女がその果実を見ると、いかにもおいしそうに見え、美しく見え、神のように賢くなれると思うようになりました。女は神のことばを忘れ、神のようになれると思い込んでしまうのでした。すると、女と男は善悪の知る果実を食べてしまいました。人は、神のように善悪を知るようになり、その結果、裸であることが分かってしまいました。人の賢さは、裸を隠そうとするものとなりました。神が望まれないことをしてしまうこと、神のようになるという高ぶりがあること、これが罪ある私たちです。罪ある私たち、弱い人間であることを知ることにおいて私たちは神を知り、神に寄り頼むのです。自分の弱さ、罪深さを覚えて、主に寄り頼んで今週一週間、歩んでまいりましょう。

2021年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月8日(日)朝のみんなの礼拝メッセージ

「男は父母を離れて女と結ばれて二人は一体となる」(2:24)。これは結婚式でよく言われるみことばで、「妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい」(エフェソ5:33)と結びます。神は人間を男と女に創造されました。その時、神は人が独りでいるのはよくない、と思われ、人に合うふさわしい助け手を捜します。人は動物に名前を付けますが、ふさわしい助け手は見つかりませんでした。そこで神は人を深い眠りにつかせ、あばら骨の一部を抜き取って女を造られました。すると男は、女というふさわしい助け手を見つけて、歓喜の叫びをあげます。他の何者にも替え難いふさわしい相手であり、互いに向き合い、共に心が響き合える人だと。共に心が響き合えることで、人は互いに愛し合い、敬えるのです。心が響き合い、互いに愛し、敬うことが、私たち人間であるという喜びをもって今週一週間、生きてまいりましょう。

2021年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka