教会ブログ

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3月16日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ある安息日(土曜日)にイエスさまの弟子が、麦を摘んでいると、ファリサイ派の人たちは、麦を摘むことが律法違反になると文句をつけてきます。イエスさまは「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と答えられました。

 律法は人を追い込んで苦しめるためにあるのではなく、人を生かすためにあるのだ、とイエスさまは言われました。イエスさまは安息日の主として律法を正され整えられたのでした。私たちのイエスさまは、私たちを真に生かすメシアであられます。このお方にゆだねて共にほめたたえましょう。

2025年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

3月9日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

イエスさまは徴税人レビを弟子にすると、レビはイエスさまを食事に招きます。するとファリサイ派の人たちは「なぜ、罪人である彼らと食事をするのか」と文句をつけてきます。イエスさまは「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えられました。イエスさまは、自分は正しいことをしていると誇っている人たちを招くのではなく、自分は弱く罪深い者であると認めて、イエスさまを信じる人たちを天国に招き入れて下さるのだ、と言われました。罪人であると認めイエスさまを信じる弱い私たちには、天国に招き入れられていることで神さまの惜しみない愛が注がれているのです。

2025年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月23日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

人々はイエスさまに祝福してもらうために子どもたちを連れてきましたが、弟子たちはそれを妨げて叱りました。すると、イエスさまは「子どもたちを来させなさい。妨げてはならない。天国はこのような者たちのものだ」と言われ、手を置いて子どもたちを祝福されました。

イエスさまのところに近づくことは誰にでもできると、イエスさまは言われました。イエスさまの祝福(恵み)は、求める者に誰にでも与えられるのです。当時小さく価値のない者と見なされていた子どもでさえもイエスさまのところに近づくことをイエスさまご自身は喜ばれるのです。ここに愛があります。私たちも子どものようにただイエスさまに近づいて身を任せて、イエスさまに恵みを頂いていると信じて歩みましょう。

2025年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月16日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

「いったい誰が天国で一番偉いのでしょうか」と弟子たちがイエスさまに質問します。イエスさまは子どもを真ん中に立たせて、「心を入れ替えて、自分を低くして、この子どものようになることが天国で一番偉いのだ」と言われました。

子どもは自分一人で生きていくことができないので、親に頼って生きています。自分は弱く何もできない罪人であることを知り、イエスさまの十字架の赦しにおいて生かされていると信じ、ただイエスさまに頼り助けを求めて生きることこそ、本当のすばらしさだとイエスさまは教えられました。私たちは弱くもろい罪人です。自分一人では何もできない者です。ただイエスさまがこの私を支えて下さっていると信じ、更にイエスさまの助けを求めましょう。

2025年2月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2月9日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

イエスさまは1万人以上の群衆のお腹を満たすためにはどうしたらよいかと弟子たちに問います。「イエスさま、助けて下さい」と願い出ればいいのに、弟子たちは、少年の持っている5つのパンと2匹の魚しかない、お手上げ状態だと言います。するとイエスさまは、彼らを咎めず、神に祈ると、群衆が満腹になるまで配られたのでした。イエスさまは、少年の僅かな食べ物で神さまを信じるために愛の働きをされたのでした。主はその人にとって一番必要なものを知り、愛をもって与えて下さるお方です。主は私たちに必要なものを必ず与えて下さり、私たちを包み込んで下さるのです。そのことを信じて生きてまいりましょう。

2025年2月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka