主の2021年9月26日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

今から2920年前、ソロモンは神殿を建て、名声を全世界にとどろかせていました。神殿を建てたとき、神はソロモンと約束をしていました。無垢な心で神に従えば、王座の存続が約束され、神に背を向けて離れ去るならば、神殿と

国は亡びる、という約束でした。ソロモンは、700人と王妃と300人の側室、1000人の妻たちがいました。晩年になるとソロモンは外国人の妻たちを愛し、神から離れていきました。その結果、妻たちの信じていた神々に従い、偶像礼拝をしてしまいます。ソロモンは神から離れ、神の約束を破り、罪を犯してしまいました。神はお怒りになり、イスラエル王国をソロモンの死後、二つに分けると言われました。神の約束を破り、罪を犯したのに、ダビデと神が選んだ都エルサレムのために、神はご自分で選ばれた民を滅ぼすことをなさいませんでした。神はご自分の民を見捨てることは決してなさいません。

 弱い罪人である私たちも神から見捨てられることは決してありません。今週一週間、このみ言葉に励まされて生きていきましょう。

2021年9月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年9月19日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

 今から2950年前、エルサレム神殿はソロモン王において完成しました。父ダビデ王ができなかったことをソロモンが引継ぎ、ソロモンはそれが自分の使命であると信じて、神に言われた通りに約7年かけて完成しました。神殿の完成は、ダビデ、ソロモン、何よりもイスラエルの民たちが待ち望んでいたことでもありました。完成するとソロモンは、民を治める者として民へのとりなしの祈りをささげます。その祈りに対して、神は喜ばれました。何よりも神の言われた通りになして神に直接憐れみを願ったからでありました。神は神殿を神の住まわれる場所として聖別され、そこから契約(約束)を結ばれます。ダビデ王のように無垢な心で正しく歩むならば王座は存続する。しかし、神に背を向けて離れ去るならば神殿と国は滅びる、と言われたのであります。無垢な心で神を信じ従うように、と言われました。これは失敗のない歩みをするということではなく、人の弱さをもっていても罪を悔いる心を忘れずに、真実をもって生きていきなさいという意味です。私たちも神が言われたように無垢な心で主を信じ従い続けていきましょう。

2021年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年9月12日 朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

ソロモン王は知恵を下さいと願い、神さまはそれを喜ばれ、知恵と富を与えました。そこである事件が起こります。二人の母親が赤ちゃんを育てていたのですが、一方の母親が赤ちゃんに寄りかかって死んでしまい、あろうことか赤ちゃんを入れ替えてしまったのでした。双方の母親が自分の子どもだと主張したことにより裁判となりました。ソロモンは「剣をもってきて、赤ちゃんを二人にそれぞれ分けよう」と言います。たまらず本当の母親は「その人にあげて下さい」といい、ソロモンはその人が本当の母親だと判決を下します。この判決はソロモン自身から出た知恵ではなく、神さまから頂いた知恵だから解決できたのです。ここにソロモンを通して神の力が現れたのです。神のことば(知恵)を聞いている私たちも自分の考えで生きていると高ぶらず、神の知恵を頂いて生きていると信じて今週一週間、歩みましょう。

2021年9月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年9月5日朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

 今から2960年前、当時のイスラエルは、ソロモンが王として、イスラエル王国を治めていました。王に即位したばかりのソロモンが礼拝をしに、ギブオンという町に来た時のことでした。礼拝をささげたその夜、神がソロモンの夢に現れました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と。するとソロモンは、神に忠実であった父ダビデ王の祝福をそのまま私が引き継ぐことは何と恐れ多いことかと、いいます。私は取るに足らない若者に過ぎないといいます。ソロモンはこの時、王として高ぶることなく、へりくだって自分の弱さを神にさらけだします。そして、王として善悪を判断できる聞き分ける心(知恵)をください、と願います。自分のためでなく、民に仕えるための判断力と知恵を授けて下さいと願ったのでした。この願いに神は喜ばれました。神はソロモンに、判断力と知恵を与え、さらに願っていなかった富をも与えると約束されました。

 高ぶることなく自分の弱さを神にさらけだし、「人に仕える知恵と力をください」と願うことを神さまは喜ばれます。私たちも、謙遜な思いで人に仕える知恵と力を与えて下さい、と祈りつつ、今週一週間、歩んでまいりましょう。

2021年9月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月29日 朝のみんなの礼拝メッセージ(要約)

アダムと女は神の命令を破り、女は生みの苦しみと痛み、アダムは食べ物を得るための苦しみと痛みを神から言い渡され、エデンの園から追放されます。罪人である二人が、命の木からとって食べてしまう可能性があったからです。神を抜きにして永遠の命を得ようとする人の弱さを神はご存じだったのです。しかし、この追放は、神の憐れみによるさばきでありました。アダムが女(命)と名付けることで、神の恵みの約束に目を留めさせ、さらに神は皮の衣を着せて下さいました。人が犯した罪の恥を自分たちではぬぐえないために、神自らが完全にそれらを覆って下さり、二人を守ってくださったのであります。その神の守りの中で、二人はエデンから追放されるのでした。

人は神ぬきに永遠の命を得ることは決してできません。人は、苦しみながら働き、キリストを通してのみ神を見ることで永遠の命があたえられます。神の恵みと守りが私たちを追う中で永遠の命が与えられるのです。「命ある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う」(詩編23:6)。この恵みに励まされて今週一週間生きてまいりましょう。

2021年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月22日(日)朝のみんなの礼拝メッセージ(要約版)

二人は神の命令を破り、神さまのところから隠れます。神さまは「どこにいるのか」と二人に問いかけます。神さまは即座にさばかれることをせず、二人に近づいてくださいます。神さまが問いかけると、アダムは女のせいにし、女は蛇のせいにし、ついには神さまのせいであるかのような言い方をします。人は裸である事実は語りますが、神のご命令を破り、罪を犯したことを認めず、謝ろうとしません。神さまは女に対して、産みの苦しみ、アダムに対して、食べ物を得ようと苦しむ(働くことの困難)ことを告げ、人は塵に帰る(死ぬ)のだ、と言われます。蛇(サタン)に対しては、呪われる者であると即宣告し、蛇と女、そして蛇の子孫(サタンと滅びる者たち)と女の子孫(キリストと救われる者たち)に敵意(対立)を置くと言われます。サタンは彼に致命的な痛手を負わせることはできないが、彼は、サタンに致命的な痛手を負わせ、勝利を治めることになるのだ、といいます。彼とはキリストであり、キリストが十字架の苦難において成し遂げて下さいました。私たちは塵に過ぎず、死にゆくものではありますが、キリストを信じ、寄り頼むことでこの勝利を味わえるのです。この救いの恵みを覚えて今週一週間、生きてまいりましょう。

2021年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月15日のメッセージ

「本当に神は言われたのか」と、神のことばを疑わせる言い方をして蛇(サタン)は、女を誘惑します。すると、女は「食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」と神は言わなかったことを答えます。女は、神のことばを付け加え、推論してしまい、神のことばから離れていきます。すると蛇は女に攻寄ります。「目が開け神のように善悪を知る者となる」と。女がその果実を見ると、いかにもおいしそうに見え、美しく見え、神のように賢くなれると思うようになりました。女は神のことばを忘れ、神のようになれると思い込んでしまうのでした。すると、女と男は善悪の知る果実を食べてしまいました。人は、神のように善悪を知るようになり、その結果、裸であることが分かってしまいました。人の賢さは、裸を隠そうとするものとなりました。神が望まれないことをしてしまうこと、神のようになるという高ぶりがあること、これが罪ある私たちです。罪ある私たち、弱い人間であることを知ることにおいて私たちは神を知り、神に寄り頼むのです。自分の弱さ、罪深さを覚えて、主に寄り頼んで今週一週間、歩んでまいりましょう。

2021年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

主の2021年8月8日(日)朝のみんなの礼拝メッセージ

「男は父母を離れて女と結ばれて二人は一体となる」(2:24)。これは結婚式でよく言われるみことばで、「妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい」(エフェソ5:33)と結びます。神は人間を男と女に創造されました。その時、神は人が独りでいるのはよくない、と思われ、人に合うふさわしい助け手を捜します。人は動物に名前を付けますが、ふさわしい助け手は見つかりませんでした。そこで神は人を深い眠りにつかせ、あばら骨の一部を抜き取って女を造られました。すると男は、女というふさわしい助け手を見つけて、歓喜の叫びをあげます。他の何者にも替え難いふさわしい相手であり、互いに向き合い、共に心が響き合える人だと。共に心が響き合えることで、人は互いに愛し合い、敬えるのです。心が響き合い、互いに愛し、敬うことが、私たち人間であるという喜びをもって今週一週間、生きてまいりましょう。

2021年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

2021年8月1日(日)のみんなの礼拝から    【本日のメッセージ】

神は人をエデンの園に住まわせました。エデンとは楽しいという意味があり、神が共におられ、この世のものならぬ宝ある場所であることからまさに楽園でありました。神は人を土の塵でかたち造り、その鼻に命の息を吹き入れられたことで、人は生きる者となりました。神の命を吹き入れられていることで人は人なのであります。神の命が吹き入れられなければ人は土の塵と同じ空しいものであります。神がご自身の息をわざわざ吹き入れられていることで、人は神のパートナーとして存在、特別な存在であります。神は人に命令をされます。「善悪の知識の木から決して食べてはならない。食べると必ず死ぬ」と。死ぬとは、死刑に処するといった神の刑罰・さばきであります。またパートナーとして、その園を耕し、守るように命じられました。人がそこを耕し、守るという「働き」は神と共にあり楽しい働きでした。私たちは土に過ぎない無価値な存在ではありますが、神の息が吹き入れられ、主のご命令に従って生きることで、楽しく働いて生きるのです。この恵みを覚えて今週一週間、主のために働いてまいりましょう。

2021年8月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka

コロナウイルス拡大における諸集会について

盛岡・矢巾において感染発症が確認されたのに伴いまして、日曜学校(日曜日の礼拝とそれに伴るイベントなど)は、5/30から休止、昼の祈りと賛美の会(14:00から)は、5/26から休止、各家庭での礼拝並びに家庭集会は、リモートで、聖餐式は、6/2から休止します。

 朝のみんなの礼拝(毎週日曜10:00から)と第二週の夕べのみんなの礼拝(午後6時半から午後7時)と昼(14:00から)と夜(19:30から)の夜と祈りの賛美の会での讃美歌は、1節のみの演奏とし、主の祈り・使徒信条・アーメンは、心の中で。

2021年5月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : rcjmorioka