イエスさまは、なくした銀貨のたとえ話をされました。何にもまして大切な宝である銀貨10枚をもっている女の人が、そのうちの1枚の銀貨をなくしてしまい、一生懸命になって見つかるまで捜し出しました。大切な宝である銀貨を捜し出す姿はイエスさまであり、そのなくした銀貨は、悔い改めることを知る罪人である私です。悔い改めとは、イエスさまに捜し出されたことに気づいて、イエスさまのところに戻って喜んで礼拝し、友が戻ってきたら共に喜ぶことです。
イエスさまは、全身をもってこの私を懸命に見つけ出してくださいました。そして全身をもって悔い改めを知る私が戻ってきたことを喜んでおられます。今でも決して離すことなく、この私を宝物のように見ておられます。その愛なるお方は、私の罪のために十字架におかかりになられるのです。