日曜学校ブログ

活動報告

神さまが共にいてくださる

校長の名古屋恒彦です!

朝まで激しい雨が降り、災害が心配される日曜日(2020/07/12)の日曜学校でしたが、神さまに守っていただき、新型コロナウイルスでしばらく来られなかった仲間も集まれ、感謝でした!!
雨もアクティビティの時間だけはあがり、活動することができました。

礼拝は、単元「ヨシュア」。
イスラエルの人たちが、いよいよヨルダン川をわたり、約束の土地に足を踏み入れたことを学びました。
神さまは、ヨルダン川の水をせき止める奇跡によってイスラエルの人たちに道を作ってくださいました。
神さまは、いつも共にいてくださり、導いてくださるのです。

アクティビティは、単元「麦の収穫と夏野菜作り」。
キュウリの苗をバケツに植えました!!
生長が楽しみです。

「強く、雄々しくあれ」

校長の名古屋恒彦です!

今日(2020/07/05)は、梅雨の小雨が時々降る盛岡ですが、日曜学校は元気です!!

礼拝では、今日から新しい単元「ヨシュア」がスタート。
モーセの後継者となったヨシュアに、神さまは、「強く、雄々しくあれ」と言われます。
神さまがいつも共にいてくださるから、私たちは強く、雄々しくあれるのです。

アクティビティは、引き続き単元「麦の収穫と夏野菜作り」です。
今日は小雨の合間を縫って、花壇のニンジンの間引きとイネの追肥をしました。
間引きとはいえ、おいしそうなニンジンがたくさん穫れました。
教会に来られた人たちに礼拝後、お裾分けしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、先週、まだ青みがあったため収穫しなかった麦は、なんとカラスに見つけられずいぶん食べられてしまいました。
無事だった麦の中にも雨のためカビが生えて収穫できなくなったものもあります。
なんとか元気な麦を少しでも多く収穫したいと思いますが、植物を育てること、自然と向き合うことの難しさをいつもながら痛感します。
だからこそ、命を育んでくださる神さまの恵みに感謝です。

 

麦の収穫

校長の名古屋恒彦です!!

今日(2020/06/28)から、集まっての日曜学校が元気に再開されました!!!
今後は、新しい生活様式を守りながら、安全に楽しく神さまの言葉を学んでいこうと思います。
ご近所のみなさまもどうぞいつでも、毎週日曜日9:15からの日曜学校に遊びに来てください。

さて、礼拝は、単元「パウロ~ローマへの旅~」の最終回。
ついに当時の世界の中心であった都ローマに到着したパウロが、ローマでもイエスさまの愛を熱心に人々に伝えたことを学びました。
パウロやイエスさまの弟子たちの2000年前の宣教が、確実に次の世代にバトンタッチされ、今日の盛岡でのこの日曜学校につながっています。
その事実に、神さまのご計画とお導きの確かさと壮大さを覚えます。

アクティビティは、単元「麦の収穫と夏野菜作り」。
ついに麦の収穫がスタートしました。
まだまだ収穫しきれません。
畑を開墾した今年は大収穫。
神さまの恵みに感謝です。

 

 

嵐の中でも

校長の名古屋恒彦です。

岩手も梅雨入りし、時に激しい雨が降るこのごろですが、今日(2020/06/21)の盛岡は、爽やかな初夏の青空が広がっています!!

今日の日曜学校のプログラムです。

2020.6.21

今日も単元「パウロ~ローマへの旅~」を学びます。
聖書は、使徒言行録27章1~9節です。

ユダヤ人の憎しみによって逮捕されたパウロは、ローマ皇帝の裁判を受けることを願い出て、ローマへと船で護送されます。
いよいよ、当時の世界の都ローマで神さまの愛を伝えるための旅が始まりました!

でも、その航海は、たいへんなものとなりました。
海があぶない季節になっているというパウロのことばを聞かずに、人々は船出しました。
しかし、パウロの言うとおり、嵐に巻き込まれ、何日も海の上をただようことになってしまいました。
生きる希望もなくなるような中でも、パウロは神さまのお約束(ローマで神さまの愛を伝えること)を信じていました。
そして、無事に陸地に上がることができたのです。

ローマで神さまの愛を伝えるというという約束を信じていたパウロ。
そして、ついにそのときがやってこようとしています。

パウロ、ローマへ

校長の名古屋恒彦です。

北東北にも梅雨が近づく今日(2020/06/14)ですが、盛岡は夏の青空が広がっています。

今日の日曜学校のプログラムです。

2020.6.14

今日も単元「パウロ~ローマへの旅~」を学びます。
聖書は、使徒言行録25章1~12節です。

ユダヤ人の憎しみによって逮捕されたパウロは、当時のユダヤの支配者であったローマ総督の法廷で裁判を受けます。
その裁判でパウロは、ローマで裁判を受けたいと申し出ました。
こうして、パウロはついに当時の世界の中心、ローマ帝国の首都ローマに行くことになります。
ユダヤ人の憎しみが引き起こしたパウロの逮捕と裁判でしたが、神さまはそのことを用いて、パウロが都(みやこ)ローマで神さまの愛を語る道をひらいてくださったのです。