校長の名古屋恒彦です。
今日(2020/05/10)の盛岡は、雨が優しく降っています。
植物を養う晩春の雨です。
今日の日曜学校のプログラムです。
2020.5.10
今日も単元「ペンテコステ~イエスさまがいつもいてくださる教会~」を学びましょう。
聖書は、ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節です。
ガラテヤ地方にあった教会では、問題が起きていました。
私たちを罪から救うために十字架にかかってくださったイエスさまを信じる信仰とは違う教えを広めようとする人たちが現れたのです。
その間違った教えに乗り換えてしまった人もいたようです。
そのガラテヤの教会の人たちに、パウロは手紙の最初からはっきりと、「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」と書きました。
イエスさまは、わたしたちの罪のために、十字架にかかって御自身を献げてくださいました。
このイエスさまを信じる人の集まりが教会です。
神さまは、イエスさまの救いにあなたを招いてくださっています。
校長の名古屋恒彦です。
今日(2020/05/03)の盛岡は、日差しが温かく、気持ちのよい朝を迎えました。
今日の日曜学校のプログラムです。
2020.5.3
今日から新しい単元「ペンテコステ~イエスさまがいつもいてくださる教会~」を学びます。
聖書は、コリントの信徒への手紙一1章1~9節です。
ペンテコステというのは、教会の誕生日と言われます。
キリスト教会では、クリスマス、イースターと並んで大事にしている日です。
およそ2000年前、イエスさまが十字架にかかられてから50日目をさします。
イエスさまは十字架にかかられ三日目に復活されます。そして40日にわたって弟子たちに現れてくださった後、天に昇られました。
そして迎えたペンテコステの日に、聖霊なる神様が弟子たち一人ひとりに降ってくださり、力をいただいた弟子たちが世界中にイエスさまの愛を伝え始めます。
これを記念するのがペンテコステ。
今年のペンテコステは5月31日(日)になります。
今日の聖書の箇所は、イエスさまの弟子の一人、使徒パウロが、コリントの教会に送った手紙の最初のところです。
なんで、パウロがコリントの教会に手紙を書いたかといえば、コリント教会でいろいろと困ったことが起きていたからです。
その困ったことが起きていることを解決するために、パウロは手紙を書きました。
きっとパウロは、コリントの教会のことで、心を痛めていたでしょう。
でもパウロは、手紙のはじめに、イエスさまの愛、コリントの教会の人たちが、イエスさまとの交わりに入れていただいていることを伝えます。
わたしたち罪に苦しむ人間を、神さまはイエス・キリストとの交わりに招いてくださいました。
教会では、わたしたちはイエスさまの愛の中で、互いに支え合っています。
この交わりは、神さまの真実による確かなものなのです。
コリントの教会のように、困ったことが起きている、間違ったことをしている人がいる教会であっても、神さまは愛してくださっているのです。
そして、神さまはあなたのことも、このイエスさまの愛の交わりに招いてくださっています。
さて、今朝の教会の花壇です。
日曜学校で育てているチューリップが今年も元気に咲きました!

校長の名古屋恒彦です。
今日(2020/04/26)の盛岡は、朝から雨。時々雨音が大きくなりますが、雲間に明るい光も。
春の雨は、作物を養う神さまの恵みです。雨も神さまに感謝です。
今日の日曜学校のプログラムです。
2020.4.26
今日は、単元「復活されたイエスさまと出会う弟子たち~イースター~」の最終回です。
聖書は、マルコによる福音書16章14~20節です。
今日のお話もおよそ2000年前のユダヤでのお話しです。
十字架にはりつけにされて死なれて三日めに復活されたイエスさまが弟子たちに現れてくださいました。
先週のお話で、マグダラのマリアは復活されたイエスさまと出会い、イエスさまのお命じになったように、そのことを弟子たちに伝えました。
でも弟子たちは、そのことを信じませんでした。
その弟子たちのもとに、イエスさまが現れてくださいます。
弟子たちは、イエスさまが十字架で死なれて悲しかったのですが、自分たちも危ないのではないかと怖がっていたのです。そういう気持ちの中で、マリアの言葉も信じることができませんでした。
イエスさまのご復活を信じられなかった弟子たちをイエスさまは叱られました。
でも、叱っただけではありません。
そんな弱々しい弟子たちに、とても素晴らしい使命とお約束を与えてくださったのです。
それは、「福音」、神さまの救いの素晴らしい知らせを人々に知らせなさい、ということでした。イエスさまを信じ、洗礼を受ける人は救われる、というのです。信じる人は悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、病気を治せるというのです。
奇跡です。
奇跡は何のためにあるのでしょう?
人を驚かすためでしょうか。
もちろん人は驚きます。
でも、本当の奇跡は、神さまを信じるためにあるのです。
そして苦しい人達を助け出す神さまの愛があふれたわざが奇跡です。
さっきまで、イエスさまを信じられずに震えていた弟子たちに、イエスさまは、こんな力強いお約束をしてくださったのです。
そして、弟子たちはこの後、イエスさまを信じ、力強く世界中に神さまの愛を伝えるようになります。
そして、その働きがずっと続き、2000年後の今、神さまは盛岡に教会を建ててくださっているのです。
2000年前の今日の聖書の出来事が、今の盛岡の地につながっていることは、本当に感謝なことです。
校長の名古屋恒彦です。
雨上がりの今日(2020/04/19)、礼拝の後に、花壇にニンジンの種をまきました。
2か月後にはおいしいニンジンができます。
楽しみです!

チューリップもつぼみをふくらませています。

校長の名古屋恒彦です。
今日(2020/04/19)の盛岡は、昨夜までの強い風がまだ少し残っていますが、雲の間からきれいな青空がのぞいています。
今日の日曜学校のプログラムです。
2020.4.19
単元は、「復活されたイエスさまと出会う弟子たち~イースター~」です。
聖書は、先週の続き、ヨハネによる福音書20章11~18節です。
今日のお話もおよそ2000年前のユダヤでのお話しです。
イエスさまが十字架にはりつけにされて死なれて三日めの朝の日曜日。
イエスさまの弟子のマグダラのマリアは、泣きながら空っぽのイエスさまのお墓を見ました。
すると、そこに二人の天使が見えました。
マリアは、天使たちに、イエスさまのお体が取りさられた、と話します。
そして振り向くと、そこにはイエスさまが立っていらっしゃいました!
でも、マリアは、イエスさまとは気づきません。
朝まだうすぐらかったからでしょうか、それとも悲しくて顔を見ることもしなかったのでしょうか。
そんなマリアに、イエスさまは「マリア」と言われます。
そのとき、マリアは、イエスさまであることに気づきました。
イエスさまは、マリアに、弟子たちのところに行って、「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」と伝えるように、言われます。
マリアはどうしたでしょう。
イエスさまはすぐに弟子たちのところに行き、「わたしは主を見ました」と話し、イエスさまのお言葉を伝えました。 ※「主」とはイエスさまのことです。
今日のおはなしは、ここまでです。
マリアは、イエスさまが生きていらっしゃることをとても喜んだでしょう。
でも、何よりも、イエスさまのお言葉にしたがい、弟子たちのところに向かいました。
そして、イエスさまが生きていらっしゃることと、イエスさまのお言葉を伝える人になったのです。
・・・おまけ。
今週の週報のイラストは、なんとプリン!
本当は、アクティビティで、イースターのたまごにちなんだ、たまごいっぱいのプリンをつくる予定でした。
いつか、プリン作りもたのしくやりたいと思います!!
校長の名古屋恒彦です。
今日(2020/04/12)は、待ちに待ったイースターです。
盛岡は、優しい朝の光でつつまれています。
先週の受難週、イエスさまの十字架の苦しみを思いながら過ごしましたが、今日はイエスさまが死に打ち勝って復活された、うれしい朝を記念する日です。
今日からしばらく日曜学校はお休みですので、このブログに日曜学校の聖書のお話しをのせます。
今日の日曜学校のプログラムです。
2020.4.12
単元は、「復活されたイエスさまと出会う弟子たち~イースター~」がスタートです。
聖書は、ヨハネによる福音書20章1~10節です。
今日のお話もおよそ2000年前のユダヤでのお話しです。
イエスさまが十字架にはりつけにされて死なれて三日めの朝。
この日は日曜日です。その朝早くに、イエスさまの弟子のマグダラのマリアという女の人が、イエスさまのお墓に行きました。
このころのユダヤのお墓は、岩に穴をあけて、その中に体をおさめ、大きな石でふたをするお墓でした。
大きな石は、とても重くて一人では動かせません。
ところが、です!
マリアが行ってみると、その石が取りのけてあり、イエスさまのお体がなくなっていました!!
おどろいたマリアは、急いでペトロともう一人の弟子のところに行って、そのことを伝えます。
ペトロともう一人の弟子も、お墓に行って、そのことを確かめ、家に帰っていきました。
でも、マリアは、お墓から離れませんでした。
今日のおはなしは、ここまで。
イエスさまのことを大事に思って、朝の暗いうちからお墓に最初に行ったのは、イエスさまの弟子のリーダーだったペトロたちではなく、マグダラのマリアでした。
イエスさまは、罪のない正しいかたでしたが、ファリサイ派の人たちのねたみや悪い心のために、悪い人として死刑になりました。
だから、そのお墓に近づくのも、仲間と思われてあぶなかったかもしれません。
でも、マリアは、お墓に行きました。
そして、復活されたイエスさまに、最初にであうことになります。
そのおはなしは、来週に。
復活。
それは、私たちの罪の身代わりとして十字架で、罰を受けてくださったイエスさまが、死に打ち勝ってくださったことです。
このイエスさまを信じるわたしたちも、死に勝つものにしていただけるのです。
校長の名古屋恒彦です!
教会では、今週(2020/04/05~04/11)を「受難週」としています。
イエスさまが十字架にかかられたことを覚える週です。
イエスさまは金曜日に十字架にかかられ死なれましたので、今週の金曜日(2020/04/10)が受難日となり、死に打ち勝ち、三日目に復活されたことを記念するのがイースター(復活日。今年は4月12日)です。
受難週が始まった今日(2020/04/05)、日曜学校の単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」が最終回を迎えました。
神さまの愛を教えてくださったイエスさまに対する妬みと憎しみを深めていたファリサイ派の人達は、ついにイエスさまを捕らえ、十字架刑(当時のローマの極刑)に至らせます。
しかし、イエスさまはファリサイ派の憎しみを受ける苦しみを自ら担われ、そして私たちを罪から救うために、身代わりの十字架刑という苦しみを自ら受けてくださったのです。
それほど罪の中でもがく私たち人間を愛してくださっているのです。
この愛は、もちろんイエスさまを死に追いやるほどに憎んでいたファリサイ派の人たちにも向けられています。そして、私たちにも向けられています。
ぜひ、イースターに向かうこの時期、イエスさまの愛に、あなたの思いを向けていただけたらうれしいことです。
アクティビティ単元「イースターに向けて、花壇をきれいにしよう!!」もファイナル。
先週、肥料を入れて整備した花壇に、今日は小松菜の種を蒔きました。
1か月ほどで収穫できるようになります。
チューリップも元気に育っています。
花と緑で、イースターを迎えます。
さて、盛岡は今日(2020/04/05)現在で、まだ新型コロナウイルス感染の報告がありませんが、盛岡教会日曜学校は、しばらくお休みすることになりました。
とても寂しいことですが、いつでも再開できるように準備していきます。
また、毎週日曜10時30分からの「みんなの礼拝」(大人も子どもも一緒の礼拝)はお休みしないで続けますので、日曜学校の子どもたちも「みんなの礼拝」で、聖書の言葉を学び続けます!!
このブログでは、お休み中の日曜学校の子どもたちに、聖書のメッセージを届けていこうと思っています。
ですから、次回の更新から少しブログの感じがかわりますが、引き続き県内外でブログを読んでくださっているみなさまにも、神さまの愛をお伝えしたく思っていますので、次回もまたブログをのぞきに来てください!!
校長の名古屋恒彦です!
教会では、レント(受難節)の時節を過ごしています。
イースターを前に、イエスさまが私たちの罪の身代わりに十字架にかかって死んでくださった歩みを覚える時節です。
日曜学校礼拝単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」では、今日(2020/03/29)も、そのことを覚えて学びました。
ファリサイ派の人たちのイエスさまへの妬みや憎しみは、やがてイエスさまを死刑(十字架刑)にするまでに至ります。
そのような妬みや憎しみの中でも、イエスさまはファリサイ派を含め、人々に神さまの愛を伝え続けられたのです。
アクティビティは、単元「イースターに向けて、花壇をきれいにしよう!!」。
今日は曇り空の下、花壇で葉物の収穫をしました。
冬の間、不織布のトンネルの中で育ってきた葉物(ホウレンソウと小松菜)をすべて収穫。



青々と元気に育った葉物たちは、みんなの礼拝の後、礼拝に来られたみなさんにプレゼントしました!
葉物を収穫してきれいになった花壇に、みんなで肥料をまき、次の作付けの準備もしました。
トンネルの中で一緒に冬を越したチューリップたちも元気に育っています。
花壇が、花や緑でいっぱいになることが楽しみです。
校長の名古屋恒彦です!
レント(受難節)のこの時期、日曜学校では、イエスさまの十字架への歩みを学んでいます。
今日(2020/03/22)の日曜学校礼拝では、単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」を引き続き学びました。
イエスさまの時代、聖書にある神さまの教えには、人間が勝手に作った掟がたくさん付け加えられていてしまっていました。
人を救うための愛に満ちた神さまの教えに、人間が勝手に加えた決まりがたくさんくっついて、規則ガチガチになってしまっていたのです。
ファリサイ派と言われるグループは、そのような人を縛り、苦しめる決まりを神さまの教えと同じように教えていました。
でも、神さまの教えは、わたしたち人間に対する愛が溢れたものです。
イエスさまは、神さまの本当の教え、愛に満ちた教えが大事であることをファリサイ派の人々に教えてくださいました。
それでもファリサイ派の人々は、自分たちの教えを否定するものとしてイエスさまを憎むようになります。
イエスさまは、ファリサイ派の人々の憎しみの中でも、神さまの愛を説かれました。
神さまの子どもであるイエスさまが、自ら憎しみを受ける苦しみを担われることをいとわず、わたしたちに救いのために地上に来てくださったことに、神さまの愛の大きさを思わされます。
アクティビティ単元「イースターに向けて、花壇をきれいにしよう!!」はあいにくの雨で外では活動できませんでしたが、屋内で苗ポッドに、小松菜、ホウレンソウの種まきをしました。
同じく屋内のプランターで育てていた春菜にきれいな花が!
食べるか、花を咲かせるか、で相談したところ、花を咲かせることに決定!
小さな黄色い花がこれから教会の玄関を飾ってくれることになりました。
地域のみなさま、どうぞお気軽に春菜の花を眺めに来てください。
日曜学校教師の安江です。
今週日曜日(2020/03/15)の岩手県盛岡市は、まだまだ肌寒いですが、花壇のホウレン草と一緒に少しだけ頭を出したスイセンが春の訪れを感じさせる晴天の中、日曜学校の子どもたちの元気な讃美歌に包まれながら、アクティビティでビオラやパンジーを植えてイースターの準備をしました!


2020年3月15日の日曜学校の単元は先週に引き続き「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。新約聖書のマルコ3章1節から6節まで読み、その中での今日の聖句は、マルコによる福音書3章4節「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」でした。
今日の箇所からは、主イエスが安息日に会堂にお入りになった時の出来事を通して、安息日の意味やファリサイ派の人たちの憎しみについて学びました。先週に引き続き、今週も「安息日」とはなんでしょうか?と子どもたちに問うたところ、すぐに「神様に祈る日!」と元気な声で答えてくれました。準備した答えは必要ないと思うほど、純粋で真っ直ぐな応答に嬉しくなりました。子どもたちには、「その通り!安息日というのは、神様が定められた日です。6日の間はお仕事をして、7日目は神様を賛美する日です。」と伝えました。
次にファリサイ派の人たちの憎しみについて学ぶときです。このときに静止画を壁に写し、「ファリサイ派の人たちは、どこに目を向けていたのか?」と問うたところ、「指を差している」と答えがありました。子どもたちには、ファリサイ派の人たちが自ら正しいことをしているという思いを強く持っていたことと、神様を見ないで律法を絶対視して他人を罰することに熱心になったことにより引き起こされたものが憎しみであることを伝えました。そして、私たち人間は、ファリサイ派の人たちのような憎しみを持ち合わせていることや、会堂の人たちの沈黙のような頑なな心があることも伝えました。
このように、子どもたちは今日のこのメッセージを通して、イエス様が常にこうした悪意や殺意の中で過ごされてきたことを覚えた『レント』でした。わたしも、日々の中で「善を行うこと、命を救うこと」を心から行えるよう神様にお祈りしたいと思います。