悲しむ人々は幸い

校長の名古屋恒彦です!

今週(2019/01/13~)の日曜学校、私は所用で不在でしたので、以下、日曜学校教師の名古屋理恵姉妹からの報告です。

日曜日の朝。こどもたちが元気に集まってきました。
礼拝では、マタイの山上の説教を1節ずつ学んでいます。
今日は、「悲しむ人々は幸いである、その人たちは、慰められる」を詳しく学びました。
悲しむというのは、わたしたちが持っている罪そのものを悲しむということで、例えば、言うつもりはなかったのに、するつもりはなかったのに、なんであんなことを言って、またはしてしまったのだろうなどなど・・神様からしてはいけないと教えられたことを、したくなくてもしてしまうような、罪の性質を悲しく思う、ということです。
幸いなのは、わたしたちが悲しく思う、その心を、神様は「いいよ」と思ってくださるということです。
そして、神様は、イエスさまが十字架におかかりくださることで、この罪自体を赦してくださいました。
だから、わたしたちは、罪自体は今 もあって悲しくとも、イエスさまによって罪が赦されていることで嬉しいですし、イエスさまがいつも共にいてくださるので、慰められるのです!

アクティビティでは、白玉団子を作って、フルーツにin。
火曜クラスでは、白玉団子を作って、きな粉をon!
作りながら、たべながら、冬休みの楽しかった話、お出かけした話、などなど話に花が咲きました!
冬の神様からの恵みと神さまからの慰めに感謝です!!

2019年1月15日