日曜学校教師の安江です。
今週日曜日(2020/03/15)の岩手県盛岡市は、まだまだ肌寒いですが、花壇のホウレン草と一緒に少しだけ頭を出したスイセンが春の訪れを感じさせる晴天の中、日曜学校の子どもたちの元気な讃美歌に包まれながら、アクティビティでビオラやパンジーを植えてイースターの準備をしました!
2020年3月15日の日曜学校の単元は先週に引き続き「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。新約聖書のマルコ3章1節から6節まで読み、その中での今日の聖句は、マルコによる福音書3章4節「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」でした。
今日の箇所からは、主イエスが安息日に会堂にお入りになった時の出来事を通して、安息日の意味やファリサイ派の人たちの憎しみについて学びました。先週に引き続き、今週も「安息日」とはなんでしょうか?と子どもたちに問うたところ、すぐに「神様に祈る日!」と元気な声で答えてくれました。準備した答えは必要ないと思うほど、純粋で真っ直ぐな応答に嬉しくなりました。子どもたちには、「その通り!安息日というのは、神様が定められた日です。6日の間はお仕事をして、7日目は神様を賛美する日です。」と伝えました。
次にファリサイ派の人たちの憎しみについて学ぶときです。このときに静止画を壁に写し、「ファリサイ派の人たちは、どこに目を向けていたのか?」と問うたところ、「指を差している」と答えがありました。子どもたちには、ファリサイ派の人たちが自ら正しいことをしているという思いを強く持っていたことと、神様を見ないで律法を絶対視して他人を罰することに熱心になったことにより引き起こされたものが憎しみであることを伝えました。そして、私たち人間は、ファリサイ派の人たちのような憎しみを持ち合わせていることや、会堂の人たちの沈黙のような頑なな心があることも伝えました。
このように、子どもたちは今日のこのメッセージを通して、イエス様が常にこうした悪意や殺意の中で過ごされてきたことを覚えた『レント』でした。わたしも、日々の中で「善を行うこと、命を救うこと」を心から行えるよう神様にお祈りしたいと思います。