日曜学校ブログ

活動報告

イエスさまの苦しみの意味

校長の名古屋恒彦です。

今日(2025/04/06)から日曜学校は新年度。
今日は進級式を行います。
この1年も、ご一緒に神さまのことを学んでいきましょう。

今日も受難節の単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。

聖書は、ヨハネによる福音書11章45~57節です。

「今週の聖書の言葉」アップします。

2025年4月6日

45節の「イエスのなさったこと」というのは、イエスがベタニアのマリア(イエスさまのお母さんのマリアとは別人)の兄弟ラザロを生き返らせたことです。
大きな奇跡をみて、イエスさまの愛を知る人もいれば、ファリサイ派の人たちのように、イエスさまを憎む人もいるのです。

※お詫び
先週の聖書箇所が、「マルコによる福音書12章~17節」となっていましたが、「マルコによる福音書12章13~17節」の間違いでした。申し訳ございません。

神さまの教えはさまたげられない

校長の名古屋恒彦です。

今朝(2025/03/30)の空気は少しひんやり。
盛岡の桜はもう少し待って、になりそうです。

今日も受難節の単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。

聖書は、マルコによる福音書12章13~17節です。

「今週の聖書の言葉」アップします。

2025年3月30日

ことばのわなでイエスさまの揚げ足をとろうとしたファリサイ派の人たちでしたが、神さまの教えは、そんな人間の罪の思いでさまたげられたりはしません。
こうして、神さまの教えはイエスさまの時代から2000年たった今も、聖書として世界中の人に読まれているのです。

神さまの戒めの本当の意味

校長の名古屋恒彦です。

花粉がいっぱい飛んでる盛岡です。

今日(2025/03/23)も受難節の単元単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。

聖書は、マルコによる福音書3章1~6節です。

「今週の聖書の言葉」アップします。

2025年3月23日

イエスさまが、神さまの教えの本当の意味を伝えるごとに、自分の考えから離れられないファリサイ派の人たちは、自分たちの考えを、まちがいとされるイエスさまをゆるせなくなっていきます。

安息日はだれのために

校長の名古屋恒彦です。

3月も半分が過ぎました。
4月からの新しい生活に備えている方々もいらっしゃると思います。
みなさまのためにも教会はお祈りしております。

さて、今日も受難節の単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。

聖書は、マルコによる福音書2章23~28節です。

「今週の聖書の言葉」アップします。

2025年3月16日

イエスさまとファリサイ派の人たちの意見の違いは、小さなことではなくて、神さまをどう信じるかということでもありました。
だから、ファリサイ派の人たちは、イエスさまを許すことができなくなっていきます。
この思いの先に、イエスさまの十字架があります。

十字架への道

校長の名古屋恒彦です。

教会の暦では、3月5日(水)から、イエスさまの十字架を思う受難節が始まり、今日は受難節第1主日(しゅじつ 日曜日)です。
今日から新しい単元「イエスさまとファリサイ派の人たち」です。
イエスさまの十字架への道を、イエスさまを憎むファリサイ派の人たちとのやり取りを通して学びます。

聖書は、マルコによる福音書2章13~17節です。

「今週の聖書の言葉」アップします。

2025年3月9日

ファリサイ派の人たちは、聖書の言葉を、神さまの愛を抜きにして読んでいたのではないかと思います。
イエスさまは、神さまの愛をもって聖書を教えてくださいました。
この違いが、ファリサイ派の人たちのイエスさまへの憎しみを生んだのではないでしょうか。