日曜学校ブログ
活動報告
- 春を待ちながら
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校長の名古屋恒彦です!
2月の日曜学校は、礼拝では単元「イエス様の教え」を学びました。イエス様が弟子たちに教えてくださった大切な教え、「怒ってはいけない」「人を愛する」などを学びました。どれも私たち教師にとっても難しい・できないことですが、イエス様が赦してくださる恵みを、子どもたちも教師も聖書から教えていただきました。そして、神さまにどう祈ったらよいかわからない私たちのために、イエス様が教えてくださった「主の祈り」を勉強しました。アクティビティでは、その「主の祈り」のはがき作りをしました。紙すきではがきを作って、思いおもいのすてきなはがきができました。「主の祈り」を身近に感じられればと願います。
3月は教会暦では「受難節」に入りました。礼拝でも、単元「受難節」です。私たちの救いのためにイエス様がしてくださったことを、十字架に向かう道筋をたどりながら学びます。アクティビティはまだまだ寒いですが、単元「イースターに向けて~花壇作り~」です。イースターに向けて春の準備として、花壇の整備をして野菜の種を蒔きます。春を待ちながら、がんばります!! - 盛岡教会日曜学校カリキュラム
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またまた校長の名古屋恒彦です!
今日(2017年2月12日)の日曜学校教師会で、2017年度の日曜学校礼拝カリキュラムを話合い、添付のように作成しました。
2016年度から、盛岡教会日曜学校では、教会暦に沿ってのオリジナルカリキュラムを作っています。
今実施している2016年度カリキュラムも添付しますので、ご覧ください。教会暦をたどりながら、聖書を体系的に、そして生活に即して学んでいこうと考えています。
御言葉を学び、御言葉を生きる、この二つを大切に、盛岡教会では子どもたちの成長を祈りつつ、子どもたちも教師も一緒に学んでいます。 - 「主の祈り」はがき作りスタート!
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校長の名古屋恒彦です!
今日も盛岡は雪景色ですが、昼間は日射し暖かく雪もとけ始めていました。
まだまだ寒い日は続くでしょうが、ふと春の足音を感じます。さて、今日(2017年2月12日)から新しいアクティビティ、単元「『主の祈り』のはがき作り」がスタートしました!
牛乳パックを材料にして紙すきをして手作りはがきを作って、主の祈りカードにしようという単元です。
今日は、みんなで牛乳パックからパルプを取り出しました。
取り出したパルプをミキサーにかけ、細かくしてすき枠ではがきの形にしました。
乾かしたら来週は文字を書いたり、シールを貼ったりしてみます。2月の礼拝の単元「イエス様の教え」で、主の祈りを学びますので、心を込めてみんなで主の祈りのはがきを作りたいと思います。
- 単元「イエス様」を学んでいます
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校長の名古屋恒彦です!
1月最後の日曜学校は、「降誕節」の単元「イエス様」の最終日でした。
イエス様のご降誕から、成人され福音宣教のお仕事に就かれるまでを学ぶ本単元。1月最後の日曜学校礼拝では、潮田牧師先生が子どもたちにメッセージをしてくださいました。
メッセージ題はマタイによる福音書4章から「イエス様と悪魔」。
イエス様が悪魔からの三つの誘惑を聖書の御言葉で退けられたことをわかりやすくお話しくださいました。
三つの誘惑の一つ。イエス様が空腹になられたとき、悪魔が「神の子なんだから石をパンにしたらどうだ」と誘惑してきました。
イエス様はその誘惑に「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という聖書の御言葉で答えられます。
この御言葉はクリスチャンでない人たちにも有名な御言葉の一つですね。
私たちはさまざまな誘惑に悩みますが、聖書の御言葉で戦うことをみんなで学びました。アクティビティの花瓶作りも順調。
盛岡教会はすてきな花瓶ときれいな花でいっぱいです!
来週が花瓶作りのアクティビティのファイナル。
教会に花瓶と花を飾ります。地域のみなさま、春を感じる花をいつでも見に来てくださいね。
- み言葉を生きることを大切に
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校長の名古屋恒彦です!
盛岡教会日曜学校では、降誕節のこの時期、イエス様が人として生まれ、育ち、人とともに地上で生活されたことに感謝し、花瓶を作って、教会にたくさんの花を飾っています。ガラス瓶に色紙やシールなどを貼って素敵な花瓶が次々とできています。きれいな花を飾って、教会を大切にする気持ちをみんなでもてればとも願っています。
子どもも、保護者のみなさんも、先生たちも、生き生きと活動しています。日曜学校のアクティビティでは、み言葉を生き生きと生きる姿を大切にしています。
ところで、このような子どもが生き生きと生きる姿を大切にする教育については、昔から教育界でいろいろ議論されてきました。
19世紀以降の近代教育で児童中心主義教育とか生活中心主義とか言われる、子どもの生き生きとした姿を大切にする教育が台頭してきたのは、近代の公教育が排除したはずの宗教性の新たな登場であるというような批判的な論があるようです。
子どもが生き生きとしている姿を大事にすることに、あるべき人の生き方を価値づける宗教の匂いを感じるのかと思います。
でも、そのような姿を大切にするからこそ、近代の学校教育が育ってきたのも事実です。
とすると、教育にはやはり、あるべき人の姿が描かれなければならないのではないでしょうか。
公教育が宗教性に対して中立であるべきなのはもちろんです。でも、教育の歴史をさかのぼると、教育の源に神様が願う人の姿があるのかなと思います。
そんなことを思いめぐらしながら、日曜学校では、神様が聖書を通して教えてくださる生き生きと生きる姿を大切に、み言葉を学びたくわえ、そして生き生きとみ言葉を生きる教育にこだわっていければ、と私は思っています。