み言葉を生きることを大切に

校長の名古屋恒彦です!

盛岡教会日曜学校では、降誕節のこの時期、イエス様が人として生まれ、育ち、人とともに地上で生活されたことに感謝し、花瓶を作って、教会にたくさんの花を飾っています。ガラス瓶に色紙やシールなどを貼って素敵な花瓶が次々とできています。きれいな花を飾って、教会を大切にする気持ちをみんなでもてればとも願っています。
子どもも、保護者のみなさんも、先生たちも、生き生きと活動しています。

日曜学校のアクティビティでは、み言葉を生き生きと生きる姿を大切にしています。
ところで、このような子どもが生き生きと生きる姿を大切にする教育については、昔から教育界でいろいろ議論されてきました。
19世紀以降の近代教育で児童中心主義教育とか生活中心主義とか言われる、子どもの生き生きとした姿を大切にする教育が台頭してきたのは、近代の公教育が排除したはずの宗教性の新たな登場であるというような批判的な論があるようです。
子どもが生き生きとしている姿を大事にすることに、あるべき人の生き方を価値づける宗教の匂いを感じるのかと思います。
でも、そのような姿を大切にするからこそ、近代の学校教育が育ってきたのも事実です。
とすると、教育にはやはり、あるべき人の姿が描かれなければならないのではないでしょうか。
公教育が宗教性に対して中立であるべきなのはもちろんです。でも、教育の歴史をさかのぼると、教育の源に神様が願う人の姿があるのかなと思います。
そんなことを思いめぐらしながら、日曜学校では、神様が聖書を通して教えてくださる生き生きと生きる姿を大切に、み言葉を学びたくわえ、そして生き生きとみ言葉を生きる教育にこだわっていければ、と私は思っています。

2017年1月25日